色々なところでちょっと話題になっていたので、近所の本屋で探して買って読みました。
先にことわっておきますが、「本の紹介」といいながらほとんど紹介になっていません。
内容を知りたい方は、他の方のブログを探して読んだほうがいいかもしれません。
勉強できる子 卑屈化社会│宝島社の公式WEBサイト 宝島チャンネル
この本には、「勉強できる子」が卑屈になっていく過程の考察や、そのような子が生きやすい社会にするための提言などが記されています。
私自身は、名古屋近郊の田舎に住んでいて、
小学校:市内では下から数えて○番目、ぐらいの学校で、成績は上のほう
中学校:歴史ある「伝統校」らしかったが、ほとんど行ってないので、成績は圏外
高校:「落ちこぼれ専用」の学校で、成績は上のほう
大学:名古屋圏の私大としてはまあまあの学校で、成績は上のほう
という流れで来たのと、著者さんとは多分同学年ぐらいで時代背景は合っているので、そこそこ「対象読者層」には当てはまっているようですが、正直、いくつかのエピソードについて「あるある(あったあった)」とは思ったものの、勉強ができることに対する否定的な意見については、あまり気にせず過ごしてきたような気がします。
なので、「卑屈化」という感覚は、あまり共有できていません。
ただ、↑の経歴で「???」となりそうな中学・高校の過ごし方の「原因」を考えてみると…小学校高学年の頃の担任が思い当たりました。
クラスメイト全員の前で嫌味を言われたり、ろくに話を聞かず「決めつけ」で怒られたり。
ただ、一方的に嫌なことをされただけではなく、(担任が持っていたであろうイメージの中で)「良い」ことをしたときには褒められたりもしたので、決してイジメや嫌がらせをしたかったわけではないのでしょう。
そうです、この担任の考える「良い子」のイメージの中で「良い」ことをしたときは褒め、「悪い」ことをしたときはそれを(極端な態度で)否定しただけのことです。
で、その「イメージ」そのものが、
「勉強ができるだけでは良い人間になれない」
であり、それによって判断すると、
「お前はそのまま大人になっていったら、苦労をすることになる」
ということだったんですね。
私本人としては、勉強ができる/できないについては大して気にせず(自慢も卑下もせず、空気も読まず)振る舞っていた(その上、「くだらない」と思ったことを求められたときに雑に対応していた)のが、担任からすると「それでは社会でうまくやっていけない」ということだったわけで。
意図は全くわからなかったわけではないのですが、そこは所詮小学生、どう対処していいのかわかりません。
おかげでかなりの教師不信になりました。
※こういうのは「善意の勘違いによる押し付けは、相手にとって害悪になる」の典型だと思いますが…そのことについては、近々、もう1冊の本の紹介で書く予定です。
そして中学に上がって、今度は「下層学校」の校区から引っ越していきなり「伝統校」に行くことになって、そこの教師たちの(全員の中のごく一部だったと思いますが、やはり目立つ人の影響力は絶大ですよね)高圧的な振る舞いを見て、
「ああ、これはダメだ」
と、早々に白旗を上げて引っ込んでしまった…というわけです。
ところが、そうやって一度完全に「逃避」して「圏外」に落ちたがために、(自分を押し殺して学校社会で従順に過ごすことをせず)かえって極端に卑屈になることもなく、その後はマイペースで進めたので、「進学校で普通の成績に落ち着いて安心し、勉強しなくなる」という、この本で記されているような「あるある」パターンにはなりませんでした。
高校は(定時制だったので)4年間行って(通信制との併修で3年でも卒業することはできましたが、最初からそれを選ばず)、最後の年は、
「午前中に学校へ行き、昼過ぎに家に帰ったらまず昼寝をして、それから適当に受験勉強して、日付が変わる前に寝る」
という、極めて健康的な受験生活を送ることができました。
大学も、「せっかく親にお金を出してもらっているんだからもったいない」と思って、4年間で160単位取りました(当時、卒業に必要なのは148単位、1年で取れる上限は50単位)。
高校に(普通の人より)余分に1年通ったおかげで、バブル崩壊後の、最初の就職氷河期のピークから1年ずれて就職活動することができて、人生、何が幸いするかわかりません。
今の職場には、自分よりも「良い大学」出身の同僚(後輩)がたくさんいて、やはり「賢いヤツはただ知識に頼るだけでなくてきちんと考えて仕事をするから、ちゃんと結果を出す」ということを実感しています。
もちろん、全ての人がそう、といえるほど甘くはないのですが。
周囲の人との関係性も含めた「環境」との相性や、タイミングの問題も大きいです。
大学までは(受験以外)ほとんど遊んで暮らしていて、社会に出てから猛勉強した人もいますし、安定的な地位を得て勉強をやめてしまう人も中にはいます。
必要に迫られて勉強したとしても、それで勉強の面白さを知って…という人はいいとして、必要に迫られなくなったらやめてしまう、という人が陥りがちなのが、
「とにかく前例」
「他社の成功事例ばかりトレース」
「10年前、20年前の知識・常識で判断」
です。
やっぱり、物事に対する興味と、考える必要があるときに自分の頭でちゃんと考える習慣は大事です。