最近書くことをややサボり気味なのに、意味不明なPV増があって、「攻撃か?」と思ったら…「勉強できる子 卑屈化社会」著者の前川ヤスタカさんが講談社のサイトに記事を書かれた影響から(?)、検索で間違ってこのブログに辿り着いてしまった人がいるようです。
私がこのブログに書いたエントリは「本の紹介」といっておきながら、全然紹介になっていません(ごめんなさい)。
前川さんの記事が「テレビは…バカにし続けるのか」というタイトルだったので、てっきり、明石家さんまさん司会の、東大生たちを小バカにしたような特番の話かと思ったのですが、違っていました。
芦田愛菜さんの、難関中学合格の話だったんですね。
前川さんの記事に、
しかし、その受験のために「一日最高12時間勉強した」ということに対しては、やや「可哀想」ともとれるような声がいくつかあったのが気になりました。
(中略)
勉強させられて可哀想。親の言いなり可哀想。
と書かれていたのを読んで、初めて「かわいそう」「親の言いなり」という捉え方をした声があることを知りました。
私は、どちらかというと、ネガティブな感想は、
「自主的に勉強したいという意欲が自然に湧き出してくる精神状態そのもの」
や、
「お受験にお金と労力を掛けられるような(本人が受験に集中できるような)家庭環境」
「努力を成果に結びつける能力」
などに対しての「やっかみ」によるもののほうが大きいような気がしていましたので。
「かわいそう」という反応があるのは事実だと思いますが、それは必ずしも「本心」を表した言葉ではないと思います。
つまり、
芦田愛菜自身がどうだったかは公式なコメントもなくわかりませんが、多くの子供は小さい頃からの好奇心、知識欲、負けず嫌いの延長線で勉強ができるようになります。
できれば楽しい、楽しいのでやる気が出る、という内なる好循環で勉強をしているのであって、むしろ勉強できる子の親はあまり勉強しなさいとは言いません。
それ自体に対する嫉妬心ではないかと思います。
ただ、「嫉妬心」ということを認めてしまうと、どうしても「やましさ」を感じてしまうので、
「相手への『心配』という形に転化する」
「本人ではなく、第三者(親や教師など)の『問題』に転化する」
などの形をとることで、「やましさ」を消そうとしているのでしょう。
一方、テレビのほうは…「勉強できる子」を本気でバカにしているというよりは、持ち上げたり逆に小バカにしたり、という「手段」によって「消費しやすいコンテンツ」に仕立て上げて視聴者に届けているだけ、でしょう。