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名古屋のITインフラお守り係です。ITイベントへの参加記録などを残していきます。

怒る上司

上司シリーズ第二弾?ではないですが、Twitterのタイムラインを見ていると、「定期的」と言っていいほど「鉄板ネタ」として、

「怒る上司はクソ上司」

のようなTweetが流れてきます。

Tweetする人によって、「常に怒っている上司」のことだったり「他の人にはそうでもないのに自分にばかり怒る上司」だったり、「一度でも怒った時点で『クソ』認定」だったりしますが、最後の「一度でも怒った時点で」は、リツイートやリプライで必ずと言っていいほど出てきます。

「常に怒っている」「怒りに任せて人格攻撃する」などは論外ですし、立場が上であることを利用して「一切の反論を認めない」のも大いに問題はあるでしょうが、そうではなくて、ただ単に「怒る」だけのことが、はたしてそんなに問題なんでしょうかね?

 

確かにその時の場の雰囲気は悪くなるでしょう。立場が上の人が怒れば、下の人が何かを言いづらくなるのもわかります。でも、「何があっても怒らない」「感情の起伏を表に出さない」「常に仏様のように微笑んでいる(アルカイックスマイル?)」というのは、むしろ気味が悪くないですか?

上司であっても「嬉しいときは喜び、集中しているときは真剣な表情で、どうしても腹が立ったときには怒り、まれに寝不足などで集中力がなくなったときばボーっとしている」ほうが人間らしくないですか?(そして怒った後には「ごめん、言い過ぎた」と謝る人もいれば、口には出さないけれど傍目に見てバツが悪そうだったり、明らかに「反省」している雰囲気の人もいたり)。

 

「一度でも怒った時点で『クソ』認定」する人は、はたして自分の部下や後輩として、無気力だったりやたらと不注意でミスばかりしたり、調子に乗って自分をバカにしてくるようなヤツがやってきたときに、怒ることなく「温かく見守る」「粘り強く指導する」ことができるのでしょうか?

とても、そのように「心に余裕がある」状態には思えないのですが(かといって「相手にせず受け流す」のも上司・先輩として正しい対応か?)。

自分より立場が上だろうが下だろうが、「人間だから正しくない行動をすることもある」わけで。

 

最近流行り?のポリコレ問題に限らず、上司だ部下だといった身近な問題に対しても、「0か100か」のような反応がちらついて見えると、それを口(文字?)にする人の余裕のなさを感じます。

 

もうちょっとユルく構えていたほうが、気楽でいいんじゃないですか?